きのくに散策

第三回 湯浅の町並み

 

醤油発祥の地として、また熊野街道や海上交通の要衝として、古くから栄えてきた湯浅では、行政や商工会、地元の人々が一体となって古い町並みの保存に取り組んでいます。表紙のスケッチは北町通りという、醸造関係の町家や土蔵が多く見られる一帯です。

 表紙の上はおなじみの、天保12(1841)年創業の醤油店“角長”さん。あたりには香ばしい香りが漂っています。右手が主屋と蔵、左手前の旧仕込み蔵は湯浅醤油職人蔵と名付けられ、旧来醸造に使用されてきた資料館などがあります。

 表紙の下は、味噌、醤油、酒などの製造に欠かせない“麹(こうじ)”づくりを文化8(1811)年以来、手作りでおこなってきた“麹屋 内傳”さんです。このスケッチとほぼ同じ所から写したポスターがJRの社内吊広告になるとか。機会があればごらんになって下さい。

 湯浅の町を歩いていると、いたる所で手作りの“行灯(あんどん)”を目にしますが、(上のスケッチ左手土蔵の角、下のスケッチ右手電柱の横)これらは麹屋さんのご主人様らが中心になって作成されているとのことで、中に一歩入るとたくさんの労作の行灯がまず目に飛び込んできます。

 ご主人様から、麹の話や行灯の話など伺ってきましたので、照明器具のルーツとも言うべき行灯について少し紹介します。何かお話のネタにでもなれば。

 電灯以前のあかりの燃料は大きく分けて四種類あります。第一は植物そのもの(かがり火、たいまつ、囲炉裏など)。 第二は動植物の油脂(たんころ、行灯など)。 第三はロウ(燭台、提灯など)。 第四は石油(ランプ)で、この順番は、照明用燃料の移り変わりとほぼ一致します。
 行灯は、鎌倉時代には手に持ち歩きながら使うものでしたが、(行灯の「あん」は「歩き回る」ことです。)江戸時代には屋内用灯火具となりました。行灯は火皿の周囲に木、竹、金属などの枠を設け、これに風除けの紙を張り巡らせたものです。
 ろうそくは、当時値段も高く、宮殿や寺院では使われましたが、一般の家では用途によっていろいろな形の行灯が使われました。