きのくに散策

第五回 昔日の要塞 友ヶ島

友ヶ島とは和歌山市の北西端、加太沖に浮かぶ四つの小島の総称、一般にはその中の“沖の島”と言う、周囲8キロほどの小島を言います。加太港から連絡船で20分ほどの位置にある島ですが、出入りの多い美しい海岸線と、起伏に富んだ深い森に覆われた、野生?の鹿やリスの生息するちょっとした別世界、自然の宝庫です。

 島の白亜の灯台は、明治5年完成の、日本で8番目の洋式灯台と言うことです。また島のあちこちには草木に覆われたレンガ造の遺構が多く見られ、釣りやキャンプ、海水浴客で賑わう?(ンー?実はあんまり賑わっていません!)この島がかつて担っていたものを知ることができ



 四面海もて囲まれし 我が敷島の秋津洲(あきつしま“ちなみに日本列島のこと”)  外(ほか)なる敵を防ぐには  陸に砲台海に艦(ふね)

 明治時代後期に制定された軍歌の一節です。帝国主義全盛の時代、欧米列強の植民地支配が正義とされた時代に、国際社会に門戸を開いた極東の島国、日本にとって独立を守るため、沿岸の防備は喫緊の課題でした。中でも、東京湾、対馬下関と共に、京阪神の入り口である、紀淡海峡の防備が重要視され、そのため明治22年より、“由良要塞”と言われる、本州側の加太深山地区、友ヶ島地区、淡路島の由良地区、鳴門地区にまたがる大要塞施設が、列強の近代技術を取り入れ17年の歳月を費やして建設されたのです

 明治大正期、これらの要塞群は侵入艦隊への脅威としての存在価値を示し、幸い敵艦隊に対してその火砲を開くことはありませんでした。しかしこの地を護っていた由良要塞砲兵連隊第三大隊は、日露戦争において旅順と奉天の戦いに従軍。 203高地奪取後の旅順港砲撃戦では、日頃の訓練の成果をいかんなく発揮して、ロシア太平洋艦隊を壊滅させる大戦果を挙げたということです
 やがて時代が移り、第二次大戦のころには、航空兵力の優劣が戦いのすう勢を握るようになり、対空手段を持たないこれらの要塞施設はすっかり時代遅れとなって、大戦末期の本土空襲では、高高度で飛来する爆撃機群に対してまったくなすすべのないまま敗戦を迎えました。そしてこれらの施設は戦後占領軍の手によってことごとく撤去解体されて、その歴史の幕を下ろしたのです。


       関連ホームページ        要塞の廃墟、友ヶ島探検


                          
友が島訪問記
 
 
11月13日、数年ぶりに友ヶ島を訪ねました。今回の訪問は実質滞在時間2時間というハードスケジュールでしたがもし皆様が訪ねられるなら、お昼をまたいで4〜5時間の滞在計画をお勧めします。
 
 加太港から約15分、つかの間の船旅で友ヶ島の玄関“野奈浦桟橋”へ、桟橋から20分ほどで、表紙に書かせていただいた灯台に辿り着きます。この灯台は明治5年に築かれた日本で8番目に古い灯台と言うことですが、実際この場所に立つとここが海上交通の要衝としていかに重要視されていたか実感できます。とにかく淡路島はすぐ目の前、小石を投げれば向こう岸まで届きそうな、そんな狭い海峡を巨大なタンカーやコンテナ船が頻繁に行き来しています。

野奈浦桟橋

友ヶ島灯台

 灯台のすぐ横にあるのが第一砲台跡、表紙の灯台の下にある丸っこいものは第一砲台の右翼観測所です。(墜落したUFOではありません!)第一砲台は4門の可農(CANNON)砲が一列に配置され、その左右に観測所があります。観測所とは敵艦の距離や動きを計測し、砲台に砲撃の角度や距離を指示する所。ここから海峡を見ているとなんとなくタンカーが軍艦に見えてくるのは私だけかな


右翼観測所入り口

海峡の防人

敵艦見ユ?

海側から見ると

 
第一砲台を後に池尻広場を抜けて展望台のほうへ向かう途中に、“海軍聴音所跡0.4km”と書かれた新しい案内板があります。陸軍の要塞の存在は戦前から、その内容はともかく、万人の知る所でしたが、海軍聴音所のほうはまったく秘密のベールに包まれた施設で、平成14年になって初めてその存在が確認されました。 聴音所とは、海中に設置したソナー(マイク)の音を聴いて海峡を航行する艦船の動きを捉えたり、潜水艦を発見したりするための施設で、40人前後の隊員が交代で、24時間監視に当たっていたということです。

分岐点標識

聴音所内部

海側からの外観 

道路側からの外観

 分岐点までもと来た道を戻り、展望台の横を通って第三砲台跡へ。この辺りは特にリスや鹿に多く出会います。でも用心深くて、なかなか写真のモデルにはなってくれません。10数枚写してみましたが、意味不明な写真ばっかり。子供さん(お孫さん?) 連れて来てあげたら喜びますよ。

 第三砲台跡はこの島で最大規模の施設で、四つのすり鉢状になった砲座に各二門、計八門の榴弾砲を備えた砲台のほか、弾薬庫や地下通路、発電所や、将校の宿舎などが見られます。友ヶ島の紹介に必ず出てくるレンガ造りの施設の写真は、ここの弾薬庫のものですが、ここに来ると、まるでタイムスリップを起こしたような、古の防人たちの息づかいが聞こえてきそうな、そんな錯覚にとらわれます。

第三砲台案内板

砲座跡1

同2水溜りに砲があった

弾薬庫跡1

弾薬庫跡2

 ちなみに第一砲台などの“可農砲”というのは、砲身の長い大砲で、水平射撃、つまりライナーで打つタイプ。第三砲台などの“榴弾砲”とは、ずんぐりむっくり型の大砲で、斜め上に放物線上に打ち上げるタイプのものという事です。
参照    要塞に関する用語集