対する孫一ら雑賀衆は和歌浦の妙見山城(南消防署の裏の小高い丘)を拠点に、弥勒寺山城(秋葉山)に部隊の主力を結集して、雑賀川(和歌川)を挟んで対峙しました。
このとき孫一らは潮の干満を利用して川の水をいったん干上げ、川底に無数の瓶や桶を埋めた後、再び水を流しておいたので、先を競って渡河して来た織田軍の兵馬はたちまち川底に足を取られ、そこへ雑賀自慢の鉄砲衆からの一斉射撃を受けて大打撃をこうむったと言います。
以下神坂次郎氏、「熊野まんだら街道」雑賀孫市の城より抜粋
こうして三月三日、織田信忠、羽柴秀吉らの天下に名のひびいた歴戦の勇将たちが、地をおおうばかりの勢いで南下し、弥勒寺山城の裾を流れる雑賀川の対岸に布陣する。信長軍の大寄せに、雑賀郷は沸騰した。
「信長め、来たか!」
異形の雑賀鉢兜、黒具足に身をかためた孫市は、目をかがやかせた。風にのって、織田の陣から軍貝や陣鉦の音が、いっせいに立ち上がるようにびょうびょうと鳴りわたり、騎馬隊のひづめのとどろきと武者声が湧きあがった。織田の先陣五千の騎馬隊は喚声をまきあげて草を蹴り、まっしぐらに雑賀川に突入した。
「雑賀の者ども、いまぞ、撃ちやれ!」
孫市は声をあげた。その声に、川べりにひそんでいた雑賀者たちの銃声がこたえかえし、天地が裂けるほどの炸裂音をたてた。 以上抜粋 |

上空より見た和歌川河口付近
この辺りで対峙した
(写真をクリックすると大きな画像)
写真提供 Goole Earth |
|